広報誌「はんてん木」

浅井ヘルスケア グループ内の出来事をまとめた広報誌です。

ASAI HOSPITAL

令和6年度大規模地震時医療活動訓練にDPAT隊として行ってきました

 9月28日(土)、令和6年度大規模地震時医療活動訓練にDPAT隊として行ってきました。浅井病院からは、4名での参加となりました。

 ちなみに、DPATを知らない方に簡単にどんなものなのか説明させていただきます。DPATとは、Disaster Psychiatric Assistance Teamの略で、災害派遣精神医療チームの事です。自然災害や、航空機・列車事故、犯罪事件などの集団災害の後、被災地域に入り、精神科医療および精神保健活動の支援を行なう専門的なチームとなります。基本的な構成員は、精神科医師、看護師、業務調整員であり活動内容は多岐にわたります。

 原則として、被災地域内の災害拠点病院、災害拠点精神科病院、保健所、避難所に設置される活動拠点本部に参集し、その調整下で被災地域での活動をおこなう事になります。

 今回は首都直下地震を想定した訓練で、浅井病院隊は千葉県庁の一室において調整本部の役割を担う事になりました。ちなみに調整本部とは、県内のDPATの指揮調整、活動拠点本部の設置、DMAT調整本部等の関係機関、DPAT事務局との連絡調整、精神保健医療に関する情報収集、受け入れ病床及び搬送手段の確保などを行う部門になります。

 当日は早朝6時に出発し、県庁に向かい訓練が開始となりました。各隊員とも、それぞれこれまでに研修・訓練などを行ってきましたが、私個人としては訓練参加はあるものの、このような大規模な訓練は初めてで、朝からかなり緊張していたのか、3時30分には目が覚めてしまいました。

 訓練が開始されると、我々4名はそれぞれ、副本部長、クロノロ、電子記録、連絡の係を担っていきます。(クロノロは、情報を時刻と共に記載するもの)

 連絡係の私は電話を常に携帯し、各災害拠点本部からの連絡を待ちます。最初の電話が鳴った際は緊張もあり、上手く伝えられなかった事もありましたが、電話がひっきりなしに鳴る状況でも、少しずつ落ち着いて対応できる様になっていったように思います。

 相手は現場の被災地域で焦りながらも伝えようとしており、それをうまく汲み取りつつ、わからない事を確認する等の経験を幾度もできた事は訓練としてよかったように思います。実際の場面ではその他状況も加わり、伝える側の焦りはさらに大きくなることも想定されるので、そこを落ち着いて伝えてもらえるように、受け取れるように実践できたらと感じました。

 電話が鳴っていない時間には、浅井病院の他の方たちの様子を見ていましたが、各々がそれぞれの役割を率先してこなしている姿が目に焼き付きました。

 日本は地震も多く、これまでも多くの災害が起きてきました。最近でも台風被害など、身近に起きていなくても国内では自然の驚異にさらされる地域は多々あります。もちろん災害など起きてほしくはありませんが、願望だけでなく、それでも災害は起きるという想定で、今後も訓練を続けて行けたらと思いました。

 1日で大変疲れましたが、本番ではこれ以上の状況が連日続くことが想定されます。自身の体調にも気を配りつつ、うまく休みをとりつつ、任務に取り組めるようになっていきたいものです。