広報誌「はんてん木」
浅井ヘルスケア グループ内の出来事をまとめた広報誌です。
令和8年熊本地震 DPAT活動報告
令和8年7月28日16時27分熊本県で震度7を記録する大地震が発生しました。数時間後には気象庁が「令和8年熊本地震」と名付けたこの地震は多数の死傷者があり、未だ断水が続くなど厳しい状況が続いています。また、真夏におこった事により、熱中症や体調の悪化への不安など各所に影響を与えています。
今回、千葉県DPAT浅井隊として7月31日(金)から8月5日(水)まで活動してきましたのでご報告させていただきます。
まず、DPATをご存じない方に向けてDPAT(Disaster Psychiatric Assistance Team災害派遣精神医療チーム)について簡単に説明させていただきます。
自然災害や、犯罪事件、航空機列車事故等の集団災害が発生した場合には、精神的な不調をきたしやすく精神保健医療の需要が増加します。しかし、被災地においては精神保健医療機能が低下する事もあり、そこにおいて精神保健医療ニーズの把握、他の保健医療体制との連携、各種関係機関とのマネージメント、専門性の高い精神科医療の提供と精神保健活動の支援が必要であり、この活動を行うため都道府県等によって組織される災害派遣精神医療チームがDPATです。
それでは今回の活動について発災日からのお話をさせていただきます。
発災が7月28日16時27分。その後、私の元には厚生労働省EMISサービス事務局からのメールが鳴りやみませんでした。各都道府県が警戒モードに設定した事によるメールです。仕事中ではありましたが事態の深刻さが伝わってきます。浅井DPATの連絡網では情報共有が進み、29日になり私への派遣の打診があり、上司に相談したうえで受け入れました。その時点で家族にも伝え、翌30日DPAT事務局より派遣依頼があり、熊本行きが決定しました。
31日早朝4時、浅井病院を出発しました。空港で4名は集合し、飛行機に搭乗。9時30分過ぎに熊本に到着しました。空港付近は閑散としており、漫画「ONE PIECE」と連携した「熊本復興プロジェクト」のポスターが大きく目立つように掲示されていた事が印象的でした。熊本県は2016年にも震度7の地震が2回観測される初めての事態になるなど甚大な被害を受けています。その復興の矢先のこの地震は、言葉では言い表せないほどの感情がある事は察するに余りあります。これから自分達が行わなければならない事への使命感を感じた瞬間でもありました。
そして、レンタカーを借りて出発しました。レンタカー店の方から「ありがとうございます。」と言われた言葉は、これからの自分を戒めるものにもなりました。
そこから、集合場所の熊本県庁に向かいました。県庁にはDPAT調整本部が立ち上がっており、熊本県南活動拠点本部に派遣されることが決まりました。
その後、活動拠点本部が設置された病院に向かいました。場所は熊本県八代市。震度6強を観測された場所です。県庁からは40km程とそれ程遠くはありません。高速道路は通行止めとなっており、一般道を走行しつつ現地に向かいます。八代に近づくにつれ、道路のひび割れや、家屋の倒壊、歩道の崩落など至る所に地震の爪痕が残されていました。電車が線路に置かれたままになっている場所もあり、規模の大きさを実感しました。八代市の近くになると開店している店は皆無で、コンビニもその時のまま時がとまっている様でした。文字にすると、このようにしか表現できませんが、これまでに見たことのない光景に胸が詰まる思いでした。
活動拠点本部が設置された病院も被災しており、通常とは違った雰囲気が感じられました。先に到着した部隊が任務に当たっており、私たちはまず現在のこの地域の現状を把握する為、近くのトヨオカ地建アリーナという大きな体育館に向かいました。ここは避難所になっており、夜間には1,000名程の避難者がいるとのことでした。私は避難所に行くこと自体が初めての経験でもあり、館内のあらゆる場所に避難している方達がいる現実を目の当たりにしました。

その後活動拠点本部に戻り、情報収集などしつつ現在の状況の把握、活動方針の確認をし、そうこうしている間に1日目の活動は終了しました。研修でも食事は摂れる時に、とされていましたが、この日はなかなかタイミングがわからず皆で食べた夕食の牛丼の味が思い出に残っています。この日は21時30分頃にベッドに入ったのですが、気がつくと朝になるほどぐっすりと眠ってしまいました。
次の日は、他の3人とは別行動となり活動拠点本部内でのロジ業務となりました。刻一刻と過ぎていく時間の中、状況を文字にしていくと起きている状況が目まぐるしく変わっていくことを実感します。この日私以外の浅井隊は、13箇所の避難所を巡回し、診察など行ってきたとのことです。熊本は40度を記録するなどかなりの暑さでしたが、エアコンの効いていない避難所などもあり、熱中症などあらゆる面で心配事はあった様です。
本当はこの6日間を詳細に書き綴りたいと思うのですが、このままこの書き方をしていくと、キリがなくなってしまうのでここからは印象をメインに話をさせていただきます。
その次の日からは、活動拠点本部内の活動がメインとなり、活動拠点本部の移転、DMAT、日赤、など数多くの方達と同じ部屋での活動、交流などがあり、より解像度の高い現実を見られるようになっていきました。
私たちがいる間にも、閉まっていたコンビニが開店したり、ほとんど何もなかったコンビニに品物が入ったり、災害支援の車両だけではありますが高速道路を通れる区間が伸びたりと日々様々な場面での支援が行われていることを実感しました。

そして今も復興は続いています。避難している方々、家屋被害に遭われた方々、心身に不調を来した方々など多数の被災者が今も支援を必要としています。自分たちの今回の活動が少しでもお役に立てたなら幸いです。
今回の派遣を通して、災害は起きてほしくないが、必ず起きてしまう。そしていつ起きるかわからない、だから準備が必要。でもいつの間にか、そういう気持ちを忘れてしまう。そうならないように、普段から自分の出来ることを見直して、増やして、「その時」に自分が少しでも役に立てるようにしていきたいと強く思いました。長くなりましたが、報告とさせていただきます。